日本語の「神」という言葉は、どのような内容を指し、どのように使われてきたのか? 西欧のGodやゼウス、インドの仏とはどう違うのか? 言葉の由来とともに日本人の精神史を探求した名著。
かみ【神】
カミ(神)の古形は、カムカラ(神の品格)、カムナガラ(神そのもの)などのカムである。
カミ(神)とカミ(上)とは本来別語だったが、カミ(神)は「カミ(上)にあるもの」という意味だと一般に信じられてきた。ところが上代の発音にはミに甲類と乙類という二つの使い分け(甲類は万葉仮名の「美」「民」「弥」などの一群で、乙類は「微」「味」「未」などの一群をいう)があり、甲それぞれ類と乙類を漢字の字音から調べると、別音として区別されている。それを便宜上ローマ字でmiとmiiとに書き分ける。実際の発音がどんなだったかには論があるが、万葉仮名の用法(上代特殊仮名遣い)から「相違があった」という点については異論がなく、カミ(上)・ミコト(尊)・ミチ(道)・ミル(見る)などのミは常に甲類の万葉仮名、カミ(神)・ヤミ(闇)、副助詞ノミなどのミは常に乙類の万葉仮名で書いており、この奈良時代の文献には例外がほとんどない。カミ(神)のミは上代では常に乙類のミで書いてあり、カミ(上)のミは常に甲類のミで書いてあるので、その二つの語は、上代には発音上区別があったことがわかる。
それが中古に入り、片仮名・平仮名が使われ始めたころにはミの甲類・乙類の区別は失われ、仮名では片仮名「ミ」、平仮名「み」一文字で書かれるようになったので、上代の区別がわからなくなって同音化し、カミ(神)の語源をカミ(上)とする考えが生じた。
しかし、タミル語との比較研究で、カミ(神)の古形カムはカとムとの複合によって成った語であると判明した。
ここでは日本のカミ(神)の性質を順次挙げていく。
1.神は唯一の存在ではなく、きわめて多数存在した。一神教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教など)では神は唯一の存在で、その複数形はありえないとされている。しかし日本の神は、「万葉集」には「ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ」<167>とあり、また、竜田の風の神、山の口に座す神、水分に座す神、御門の神、竈の神など「延喜式」の祝詞に見える神もきわめて多い。
2.キリスト教ではGODは創造主であり、光も水もGODの命令によって作られ存在したとする。人間もGODによって作られたとするが、日本では、人は神の意志の発動によって存在したのではない。「万葉集」には「石木より成りいでし人か」〈800〉、「人と成る ことは難きを」〈1785〉などとあるように、ナルは、「成る」であり「生る」でもあり、寒くなる、暑くなる、木の実が成るというのと同じで、日本人は、人間は自然にこの世に生まれ出る存在ととらえてきた。これはGODと神との根本的な相違である。
3.神は具体的な形を持たなかった。今日では神社は神殿を持っているが、歴史以前の日本の神は、神殿を持たず、神は形のないものだった。神殿が造られたのは、仏教の寺院建築が輸入をされてからのことと考えられる。伊勢神宮の内宮の社殿は、私(大野)が見たタイ国北部の国境の町、チェンライ付近のアカ族の米倉とそっくりの形をしており、その集落の家は千木・鰹木を持っていた。その村の入り口に鳥居があり、その横木の上に鳥の形の像がいくつも置いてあって、それは鳥居の原形と思われた。(略)
4.神は漂動していて、時に人や物にとりつく。(略)また、豊富な酒・食糧(海の産物・山の産物)をマツリ(奉り)、祈ると、降下来臨する。招聘された神は、人に限らずさまざまな物に依り憑く。神はマツリを受けて、人間に安全と食糧を与えるとされた。マツル(奉る)とは基本的な意味は「飲ませ食わせる」こと。(略)
5.神は恐ろしい存在であった。神は人間の願いを受けて、来臨し、幸いを人間に与えるとされたが、神意に背くと、神はその人に死を与える恐ろしい存在だった。それはカミ(神)がカミナリ(神鳴り、雷)の語源であることからも推測出来る。雷は一度発生すると、落雷して大木でも家でも焼き壊す。
カミに「神」の字をあてるが、漢字として「神」は、示偏をもつ。示偏の字は、神・社・祈・祝などで、みな神に関する意味を持つが、それは「示」が、神に対する捧げ物をのせる台の象形であるということに由来する。また「神」のつくり「申」は雷光の象形であるという。つまり「神」は本来、雷電を表した文字だった。だから神が恐ろしい存在という意味を含むのは自然である。その「神」の字を含む意味が日本語のカミと合致したので「神」をカミと和訓し、日本語カミに「神」の字を当てたのである。また転じて、虎のような恐ろしい動物をも神と称した例「韓国の虎とふ神」(万葉3885)がある。
6.神は物・場所・土地を領有し、支配している。(略)神は「領主」の意味を含んでいた。土地の領有者が神であるならば、日本国全体を領有支配するに至った天皇・天皇家の祖先は、神ということになる。(略)
7.神話とは文字のない社会で、その社会の成立の由来、さらにさかのぼって天地の誕生、男女の区別の発生、統治権の由来などを音声言語で語り伝え、また実際にそれを具体的演劇的行動によって人々に示し、社会的規範を人々に教える役割を負うものである。だから日本の統治に関して、天地の発生、生命の起源、男女の別の登場、日本国の版図の明示などが記紀の巻頭に順序をおって述べられる。そこにはじめて男女という区別の発生とその開始、その結果としての国生みの話が続く。領主の祖先であるから、それはすべて神として扱われ、神に対する尊称としてミコト(命尊)が用いられた。ミコトのミはカミ(神)
よりも古い時代の聖なる神を指す言葉だったから、ミのつく言葉はすべて「神のもの」「天皇のもの」、のちに「仏のもの」であったことを示す。(略)コトは人間どうしの義務とか約束の言葉、任務など人間の義務的行動を表すのが最も古い意味だった。それが行為者そのものを表すに至り、尊敬の接頭語ミを加えてミコトとして「貴い行為者」の意を表し、それが神々に対する尊敬の接頭辞となった。この段階に至って神は人格的存在となった。しかしそれは記紀の日本の歴史記述によって確立した意味で、世俗一般では、カミは、今まで記述してきた意味の1~5の意味を保つ存在として畏敬されて来た。以後の日本の神々はおよそこうした本来的な成立事情を負う。したがって日本の神の性格には、恐ろしい、支配的である、という点は顕著であるが、人間を愛するとか、いたわるとか、苦しみを救うとか、慰めとかいうことはなかった。
8.仏教の伝来に伴い、神の本質に変化が生じた。(略)つまり、「仏」は数限りなく存在した「神」の一つであるホトケ(仏)という名のカミ(神)として迎えられた。仏教を広めるに当たっては本地垂迹ということが唱えられ、日本の神は、仏が衆生を救済するために仮の姿をとって現れたものだとといた。神は本来多数いたので、その考えは受け入れやすかった。(略)平安時代以後、神は助けるもの救うものとする意識のほうが多数を占めるに至った。